5日目(2005年8月9日)

 5:00起床。この日も早速朝の散歩へ出発。昨晩が雨がひどく,散策に出られなかったため,天気を心配していたが,どうやら回復傾向にあるらしい。目的地を決めず,旧市街の方へ橋を渡っていく。ふらふらと地図を片手に気の向くまま散策していたら,この日の観光予定ポイントはほとんど回ってしまった。


アクメンス橋を渡って旧市街へ,5:30頃

ホテルへ帰る途中旧市街を振り返る,7:30頃
リーガの町並み

スカールニュ通り

カリチュ通り

トゥルァクシュニュ通り(騒音通り)

ピルス通り付近(だったと思う)

リーヴ広場

マクドナルド
リーガ観光-旧市街・市庁舎広場

 アクメンス橋を渡り,旧市街にはいるとすぐ目の前にあるのが市庁舎広場です。ブラックヘッドのギルドやいくつかの彫像,聖ペテロ教会など,とっても印象的な景色です。
 ブラックヘッドのギルドの建物は1334年に建設,数回にわたり改築された後,,1941年に爆破されたが,1999年に復元が完成した。現在では各種の催しや会議,晩餐会,ダンスパーティーなどに利用されているそうだ。リーガ,ハンブルグ,リューベック,ブレーメンの4つのハンザ都市の紋章と,ギリシア神話の神々の彫刻が印象的で,その上には立派な大時計が付いています。この大時計を作った職人は2度と同じものが作れないように目をくりぬかれたとか・・・怖い・・・。
 その上には建設された年(1334年)と復元された年(1999年)の数字も見える。

ブラックヘッドのギルド

ブラックヘッドのギルド・建物の装飾

ブラックヘッドのギルド・大時計

ラトヴィア・ライフル部隊の彫像

聖ローランドの像

リーガ技術大学

市庁舎

リーガ観光-聖ペテロ教会
 リーガ旧市街で最も高い建物(123.25m)。1209年の記録には商人の教会または町の教会として記されているそうです。石造りの教会は13世紀後半になって建設され,14〜15世紀に根本的に改築された。そして,17世紀末,西側の外観が改築され,バロック様式の彫刻で装飾された入り口が作られ,現在の姿となった。教会の前には「ブレーメンの音楽隊」の像がある。これは,姉妹都市のブレーメンから送られたもので,ロバの鼻を触ると幸せになれるそうです。思いっきり触ってきました。でも,この像はロバって言うより豚って感じがします。
 この聖ペテロ教会は72mの高さに展望台があって,リーガの町を一望できます。が,このページをまとめる今まですっかり忘れていました・・・残念。 

 
聖ペテロ教会

ブレーメンの音楽隊
 

リーガ観光-聖ヨハネ教会

 聖ペテロ教会と向かい合うように建っているのがこの教会。この教会が記録に初めて登場するのは1297年。当初の小さなドミニコ修道会の礼拝所は15世紀に破壊されたが,15〜16世紀に後期ゴシック様式で再建された。西側の階段状のペディメントはリーガで最も立派と言われているそうです。

バロック様式の祭壇 

聖ヨハネ教会

聖ヨハネ教会の内装
 壁面の上部に修道士の顔が見える。かつてこの裏側には神父が立つ小部屋があり,ここから外部に聞かせるための説教が行われたそうである。
   
 

リーガ観光-聖ヤコブ教会

 下の写真は多分,イェーカバ通りの方から撮影したもの。高さ80mの塔の周囲は狭い道ばかりで,なかなか良い撮影場所がないのです。ローマ・カトリック教会大司教の大聖堂であるこの教会が初めて記録に登場するのは1225年。当時,要塞の外側に位置していたこの教会は郊外の住民のためのものだった。宗教改革運動が起こった時,リーガでの最初の宗教改革が宣言されたのがこの教会だそうだ。

 
 

リーガ観光-リーガ大聖堂(ドム教会)

 ラトヴィアの福音主義ルーテル派教会の大聖堂。ここはリーガにおける高等教育の発端ともなった場所。1211年にアルベルト司教によって建築が始められ,18世紀後半に現在のような姿になった。建築様式もロマネスク,ゴシック,バロックと様々な様式が見られる。ドム教会内部のパイプオルガン(1884年設置)は6718本のパイプ,124本のストップを持つ有名なものですが,残念ながら中に入っていないので見ていません。

 

リーガ観光-その他の教会

 それぞれの教会の詳細は不明。聖母受難教会は色が物凄く好みでした。

 

マリア・マグダレナ教会 
 
聖母受難教会
 
英国教会
 リーガ観光-スウェーデン門周辺
 スウェーデン門はリーガに残る唯一の城門。1698年に防御壁の間に増築されたもの。ヤコブ兵舎に住んでいたスウェーデン人がよく利用したのでこの名が付いた。この門の旧市街側の通りは,警戒態勢を敷く際に町の防衛者らがここに集合したことから「警戒通り」と呼ばれていたが,その後,「騒音( トゥルァクシュニュ)通り」と呼ばれるようになった。
スウェーデン門のそばには,火薬塔(当初の名は「砂の塔」)がある。当時,リーガの町には,防御壁の間に合計28の塔があり,中でもこの塔は町への主要玄関を守る塔として重要だったらしい。現在,この塔は戦争博物館の建物と連結している。

スウェーデン門

旧兵舎と防御壁(防御壁の塔は「ラーメラ塔」)

火薬塔(右側に見える黄色い建物が「ヤコブ兵舎」)

火薬塔の壁面に残る撃ち込まれた砲弾

リーガ観光-猫の家
 リーヴ広場の北側,フィルハーモニー広場に建つ「猫の家」。この屋根先の猫はビッグギルドに尻を向けていたが,ビッグギルドがコンサートホールに変わった後,向きを変えたそうだ。 


猫の家

猫の家
リーガ観光-三人兄弟

 中世の住宅。外観は建てられた当時の姿をほぼ保っており,それぞれの時代を反映している。白色の建物が15世紀に建てられたもので一般住宅としてはリーガで最も古く,パン屋としての記録も残っている。「窓税」のため窓が小さい。
 

リーガ観光-リーガ城

 現在,大統領府が置かれている。この城は1330年リヴォニア騎士団によって築かれたが,15世紀に破壊された。新しい城が築かれたのは1515年,以後数回にわたって改築された。城らしくない外観,見た時は「えっ・・・これ?」という感じでした。

 

リーガ観光-クリストファーの像

 ダウガヴァ川沿いの11月11日通りにある,リーガの守り神・クリストファーの像。

 
 リーガ観光-ピルセータス運河周辺
 アクメンス橋を渡り,旧市街を抜けた所にはピルセータス運河が流れています。この周辺は緑豊かできれいな所です。運河沿いの緑の中を歩いていく。ちょっと小高くなった所(稜堡の丘)に向かうと,道沿いに水が流れ落ちている。運河に架かる橋のそばの丸石には何か書いてある。花も捧げてある。ガイドブックで調べてみると「1991年1月20日の犠牲者の記念碑」。1991年1月20日は独立運動の真っ直中で旧ソ連軍の特殊部隊がラトヴィア内務省を攻撃し犠牲者も出たそうです。

ピルセータス運河

ピルセータス運河,対岸に見える小さな家が"白鳥の家"?

稜堡の丘

1991年1月20日の犠牲者の記念碑

国立オペラ座

ライマの時計
リーガ観光-自由の記念碑

 1935年,ラトヴィアの独立を記念して建てられた高さ51mの記念碑。塔の上に立つ女性ミルダが持つ3つの星はクルゼメ・ヴィゼメ・ラトガレのラトビアの3つの地域を表している。下に刻まれているのは「祖国と自由に」という文字。
 
 リーガ観光-ユーゲントシュティール建築群
 ユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォー)は19世紀後半〜20世紀初頭にかけてドイツに起こった建築の新様式運動。リーガのアルベルタ通りを中心とする地域には,ユーゲントシュティール建築物が沢山残っている。これだけの建築物が集中していると一言で凄い!!としか言いようがない。あまりに多いので訳も分からずとにかく写真をバンバン撮ってきました。結果,どれがどういう建物なのかさっぱり分からなくなりました。
 ただ,彫刻は口を開けた顔が多い気がしたので夜にライトアップされていたりしたら不気味だろう・・・観光で行くのは良いが,あまり住みたいとは思わない,というのが本音です。この建築物のもっと沢山の写真はこちらです。
 
ストレールニエク通り(射撃兵通り)4番地付近
 
場所,建物等の詳細は不明
エストニア・タリンへ
 いよいよ最後の目的地タリンへ出発です。途中,バルト海の砂浜へ立ち寄りました。バルト海の水はよく言えば「琥珀色」,普通に言えば汚い!!でも,せっかく来たのだからと,ジャブジャブと中に入ってきました・・・さすがに冷たかった・・・この時の気温は15〜18℃位だったのでしょうか,当然といえば当然でしょう。
 その後,国境を越えて,トイレ休憩,そこの店のレジに置いてあったソロバン?が面白かったので写真に撮らせてもらった。基本は日本のソロバンと同じだろうが,こちらは玉が10個,分かりやすいですね。 

バルト海(リーガ湾)

巨大なソロバン?

エストニア・タリン到着

 そして,いよいよタリンに到着。エストニアに入ったころから天気は晴れ間が,太陽が見えてきて,明日からの天気は良いぞ!と喜んでいたものですが,ホテルに着いた頃にはまた,小雨がぱらついていました・・・
 ホテルは「レヴァル・ホテル・オリンピア」。レヴァルとはタリンの昔の呼び名です。結構立派なホテルです。旧市街まで歩いて15分程度。このホテルに2連泊です。

 

 レヴァル・ホテル・オリンピア
 タリン市内に入った頃の町の様子。素朴で良い感じです。 タリン市内に入った頃の町の様子。素朴で良い感じです。
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