朝
5:00起床。早速ベランダに出てみると,東の空が赤くなり始めています。ディオクレティアヌス宮殿の辺りもまだライトアップされていてきれいです。早速,カメラを準備,三脚に取り付けてセッティング。時々,外に出て日の出を待ちます・・・そして,6:15過ぎ頃に日の出。空の明るさから予想していたより大分,南側から昇ってきてちょっとビックリでした(笑)
その後,出発してからだったかな?隣の部屋の人(女性)から,「朝起きて外に出てみたら隣からカメラが向いていたのでビックリしたよ(笑)」と言われてしまった。驚かせて御免なさいでした(笑) |
部屋から(5:14撮影) |
部屋から(5:24撮影) |
部屋から(6:18撮影) |
スプリット(1)
8:30,ホテル出発。ほんの少しだけバスで進んで,聖フランチェスコ教会付近で下車。徒歩で旧市街・ディオクレティアヌス宮殿を廻ります。昨晩歩いた道を歩きます。夜と朝というだけでかなり雰囲気が違います。夜は夜できれいだったけど,朝の景色もなかなか素敵です。海岸線のプロムナードは数年前に整備し直されてきれいになったらしいけど,地元の人達には,「きれいすぎてイヤだ」と不評らしい(笑)。 |
ホテル前からのディオクレティアヌス宮殿 |
聖フランチェスコ教会 |
海岸線のプロムナード |
スプリット(2)
まず向かったのはレプブリカ広場。ヴェネツィアのサン・マルコ広場に似ている・・・らしいのだが,サン・マルコ広場自体を知らないのでふ〜ん・・・という感じ(笑)。まぁ,確かに,イタリアっぽい雰囲気と言えばイタリアっぽい感じです。帰国してからサン・マルコ広場の写真を調べてみたら・・・確かに,似ていると言えば似ている・・・?サン・マルコ広場の方がはるかに大規模で派手だけど。そして,魚市場を見て,再び海岸線のプロムナードへ。 |
レプブリカ広場 |
魚市場 |
魚がいっぱい |
ディオクレティアヌス宮殿(1)
そして,ディオクレティアヌス宮殿です。古代ローマ好きとしてはかなり楽しみにしていた場所です。
海岸線のプロムナードからは宮殿の長い外壁が見え,1階は沢山の店になっています。2階より上は一般の住居になっているみたいです。ディオクレティアヌス宮殿の想像図を見ると,海岸線のプロムナードは当時は海だったことが分かります。
想像図の前で宮殿内のルートの説明を聞いて出発です!南門(銅の門)から中へ入っていきます。南門は船で訪れる人々のための門で,帆船が横づけできるようになっていたらしい。でも,今はとってもちっちゃな門です。 |
海岸線のプロムナードから |
ディオクレティアヌス宮殿の想像図 |
南門(銅の門)から中へ入ります |
ディオクレティアヌス宮殿(2)
南門(銅の門)から入って真っ直ぐ行き,階段を上ると,昨晩も行った鐘楼のある中庭(ペリスティル)に出ます。中庭(ペリスティル)へ続く真っ直ぐな道はもともとから単なる通路。左右(東西)に連なる部屋が「謁見の間」,「皇帝の居室」,「厨房と食堂」などだったそうです。真っ直ぐは無料で通り抜けられるけど,西・東側は有料だそうです。
まずは西側の見学です。大きな空間が広がります。ここはかつての宮殿地上階,現在”地下蔵”と呼ばれている所。ここの本来の役割は2つ。「上の階を支える構造土台」,「海に向かって傾斜している南面の地盤を平らにすること」だそうです。上の階は中世以降の建物で埋め尽くされているのに,ここはほとんど当時のまま残っているので,古代ローマ後期の建築の様々なこと分かるそうです。 |
西・東側への通路は最初,鍵が閉まっていました |
かつての地上階”地下蔵” |
かつての地上階”地下蔵” |
ディオクレティアヌス宮殿(3)
宮殿地上階”地下蔵”で一番興味深かったのは「ゴミ」です。ディオクレティアヌス帝死後の7世紀,北方スラブ系民族の侵入のため,サロナからスプリットに人々が逃げ込み,ここはこの人々の居場所だったが,その後,長い間ゴミ捨て場として扱われていたそうです・・・「宮殿」なのに・・・(笑)。”地下蔵”の天井にはゴミ捨ての穴が沢山あります。そして,約1000年以上にわたるゴミも積み重なって堆積しています。堆積したゴミが取り除かれずに何カ所か残されています。「ゴミ」といってもさすがは昔のゴミ,完全に土に戻っています。 |
地震対策でL字型に組まれた石 |
”地下蔵”天井のゴミ捨穴 |
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「土」に戻ったかつてのゴミ・その1 |
「土」に戻ったかつてのゴミ・その2→ |
ディオクレティアヌス宮殿(4)
下は”地下蔵”にあったディオクレティアヌス帝の胸像。ディオクレティアヌス帝といえば,軍人皇帝時代の後にローマ皇帝となった人,皇帝の神格化,キリスト教を大迫害,帝国の四分割統治,初めて「隠居」したローマ皇帝・・・などなどが思い浮かびます。軍人から皇帝になった人らしく,なかなか厳しそうな顔です。でも,隠居後はこの宮殿でキャベツを作って暮らしたらしい・・・何だかアンバランスで物凄く好きな逸話です(笑)
胸像の隣の部屋(だったかな?)にはディオクレティアヌス帝を描いたコインのレプリカも展示されていたが・・・レプリカと言うより模型。とにかくでっかい!他に印象深かった展示物は皇帝がエジプトから持ち帰ったスフィンクス。ほとんどが首を切り落とされていました(唯一首が残っていたのは中庭(ペリスティル)の所にあった1つのみ)。あと,食堂(triclinium,トリクリニウム)の大理石の皿・・・でっかいです。古代ローマではこのような皿に山のように食べ物を盛って,寝椅子に片肘ついて横たわり,手で食べていたそうです。椅子に座って食べるのは,今で言う「立ち食い」と同じだったとか・・・(この食事用寝椅子の名称がtricliniumだそうです。)それにしてもでっかい皿です。 |
ディオクレティアヌス帝 |
コインのレプリカ・・・というかでっかい模型 |
首を切られたスフィンクス |
宮殿食堂の大理石の皿 |
ディオクレティアヌス宮殿(5)
そして,現在の地上階です。鐘楼は高さ60m,13〜16世紀に造られたそうです。鐘楼の横の八角形の建物が大聖堂。かつてディオクレティアヌス帝の霊廟だった場所。キリスト教を大迫害した皇帝の霊廟が大聖堂になっているんだから皮肉な話です。ディオクレティアヌス帝の遺体を収めた石棺は排除され,現在行方不明,ここにはディオクレティアヌス帝に迫害され殉教した聖ドムニウスの棺と祭壇があると言うのも皮肉な話です。宮殿の正面玄関は内部は円形で丸天井(上部は無くなっている)になっています。巨大な玄関です。隠居したとはいえ,来訪者も多かったんでしょう。中庭(ペリスティル)はとってもにぎやかです。唯一の「首があるスフィンクス」もあるのもここです。人一人が通れるような細い通路,通称「私を通して」通りを見ながら西へ向かいます。 |
中庭(ペリスティル) |
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正面玄関天井 |
鐘楼と大聖堂→ |
首があるスフィンクス |
「私を通して」通り |
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ネクタイの店「CROATA」の宣伝絵葉書を配っていました。もらったのに紛失・・・(涙) |
古代ローマ兵士のコスプレ?この二人はどういう人だったのでしょうか? |
ディオクレティアヌス宮殿(6)
洗礼所です。中庭(ペリスティル)から西側へ約30m,突き当たりにある小さな建物です。ディオクレティアヌス帝が自らの父と称したゼウス神を祭った私的な神殿として建造したものが,キリスト教の洗礼所となった所で,これまた,皮肉なものです。面白かったのは十字架の形をした洗礼盤。まるでバスタブです。昔の洗礼は全身洗礼だったからだそうです。
そして,北門(金の門)から宮殿の外へ出ます。門は二重になっていて,防御スペースが造られています。敵が門を破って進入してきた時の最後の砦だったらしいです・・・皇帝の隠居先ですらこんな対策をとってるなんて・・・ディオクレティアヌス帝の時代は本当にパクス・ロマーナは終わってしまっってたんだなぁ・・・って感じですね。 |
洗礼盤 |
宮殿内の細い路地 |
北門(金の門)・・・二重になっています |
スプリット(3)
北門(金の門)から宮殿の外へ出るとすぐに目に付くのは大きな銅像。これはグルグール・ニンスキ(ニンのグルグール司教)の像。彼は10世紀に教会でのスラブ語の使用が禁止されたことに撤回を求めた人らしい。左足の親指を触ると願いが叶う!(ただし,物欲はNG)・・・ということで,左足親指だけピカピカになっていました(笑)。外壁に沿って西門付近へ進み,ナロドニ広場(人民広場)へ。クロアチアの老舗・チョコレートの店(KRAS)の店を見たりしながら再び,海岸線のプロムナードへ。ここでフリータイムに突入です。宮殿外では壁面の浮彫りが結構面白かったです。 |
グルグル司教像 |
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西門付近・・・だったかな? |
上の写真の壁の一部・・・「夫婦喧嘩」の浮彫り |
←西門付近・・・だったかな? |
ナロドニ広場(右側中央の建物が市庁舎) |
スプリット市の紋章(市庁舎) |
聖アントニウス像の浮彫り(ツィプリアナ邸) |
詩人M.マルリチ像(ラディチ兄弟広場) |
ディオクレティアヌス宮殿の鐘楼から
フリータイムは・・・当然,鐘楼に昇ります!内部は昨日のザダル・聖ストシャ大聖堂の鐘楼よりもはるかに急で狭い階段,しかも見事な吹き抜けになっていて,ちょっと怖かったです。173段を上って広がるのはスプリットの絶景です。青い空に青い海,赤煉瓦の屋根が映えてとってもきれいでした。やっぱりアドリア海沿岸はきれいです!! |
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最上部で |
こんな人もいました |
こんな階段です(降りる時に撮影) |
こんな階段です(降りる時に撮影) |
ドブロヴニクへ(1)
11:55,Varosレストランで昼食。昼食後,いよいよドブロヴニクへ向けて出発です。またもや,アドリア海のあの景色が連続します。すっかり見慣れたはずなのに,全く見飽きません!!美しい景色が連続していきます。やっぱり,木がほとんど生えていない石灰岩の岩山は独特の風景です。 |
色とりどりの果物を売っていました(13:57) |
急峻な地形に道が通っています(14:18) |
海の色はきれいです(14:18) |
トイレストップしたブレラから撮影(14:28) |
海岸線の反対側は岩山が迫っています(14:29) |
バスより(15:06) |
バスより(15:26) |
ドブロヴニクへ(2)
15:40,バチナ湖で写真ストップ。いくつかの湖が連なり,とっても青い。周囲の緑もきれい。空の青もきれい。物凄くきれい・・・一度見たら忘れられない景色です。本当にクロアチアはきれいな国です。 |
バチナ湖案内板 |
バチナ湖・全景 |
バチナ湖・アップ |
ドブロヴニクへ(3)
15:40,バチナ湖を過ぎてしばらく進むと,田園地帯!!に突入します。この辺りはネレトヴァ川の河口付近です。結構肥沃な土地なのでしょう。 こういう景色を見るとやっぱりホッとします。やっぱり日本人なんだなぁと感じます。こんな景色はこのクロアチア旅行ではここでしか見なかった気がします。 |
新しい道路を建設中です(15:53) |
田園地帯(15:54) |
田園地帯(16:09) |
ドブロヴニクへ(4)
16:20,クロアチア出国・・・ちょっとだけ,ボスニア・ヘルツェゴビナに入国です。アドリア海沿岸を南下すると,この部分だけ,ボスニア・ヘルツェゴビナ領なのです。パスポートチェックもなく,運転手さんの書類チェックだけで通過です。
ボスニア・ヘルツェゴビナの印象は・・・クロアチアと全く同じ(笑)。何故,ここだけがボスニア・ヘルツェゴビナなのか?歴史的な経緯があるんだろうけど・・・パスポートチェックもしないし,意味無し〜〜!って感じでした。
16:30,ボスニア・ヘルツェゴビナの町ネウムに到着です。ここでトイレ休憩・ショッピングです。添乗員さん曰く「クロアチアよりもクロアチア土産が安く買える」そうです。大量にお土産を買い込みました。私からお土産をもらった皆さん,クロアチア土産の半分以上はは実はボスニア・ヘルツェゴビナで買った物です(笑)。
17:00,クロアチア再入国(パスポートチェックなし,運転手さんの書類チェックだけ)。アッという間のボスニア・ヘルツェゴビナでした。いずれボスニア・ヘルツェゴビナにはしっかりと来たいなぁ・・・それに,やっぱりパスポートにスタンプが欲しかったなぁ・・・と思いつつの出国でした。 |
ボスニア・ヘルツェゴビナ入国 |
ボスニア・ヘルツェゴビナ の海岸線 |
スーパーマーケット(ショッピング兼トイレ休憩) |
ネウムの町 |
ボスニア・ヘルツェゴビナ の海岸線 |
ボスニア・ヘルツェゴビナ出国 |
ドブロヴニクへ(5)
クロアチア再入国してまたもやあの景色が続きます・・・が,再入国してからイトスギが急に多く目に付くようになりました。・・・他はこれまでと同じ・・・でもやっぱり景色はきれいです。
そして,17:50,ドブロヴニク大橋(というのかな?,全長518m)に到着。橋の向こうに見えるのはドブロヴニクの新市街とグルージュ港。結構大きな船が入港しています。残念ながら「アドリア海の真珠」旧市街は,まだ,見えない。写真ストップの後でホテルへ向けて出発です。 |
バスより(17:04) |
バスより(17:15) |
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バスより(17:20) |
樹齢400年のプラタナス(17:32)→ |
ドブロヴニク大橋とグルージュ港 |
グルージュ港 |
ドブロヴニク到着,ホテルへ
18:20,ホテル・アリストンに到着。ホテル前の道は狭い急カーブがあり,大きなバスが見事に曲がり切ったときは思わず拍手!!でした。2007年夏にオープンしたばかりの新しいホテル(まだ1年しか経っていない!)アドリア海に面していて景色も抜群です。夕陽もきれいです。部屋も広いし,きれいでした・・・が,窓が物凄〜く特殊な開け方で・・・いろいろとありました・・・私の前に,この部屋に泊まった人も物凄く苦労したようで・・・苦労の痕跡がはっきりと・・・1年しか経ってないのにこんなになっているなんて・・・来年はどうなっているんだろう・・・このせいで,このホテルのことは思い出したくありません!!基本的にはきれいな,良いホテルだと思うんですけどねぇ・・・ |
ホテル・アリストン(撮影は翌朝早朝) |
ホテル・アリストンの部屋 |
ホテル・アリストンの部屋 |
以前泊まった人達の苦労の跡・・・ |
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夕陽もきれいでした |
夕陽もきれいでした→ |
番外
翌日,ホテルへ帰ってくると・・・右の写真のような果物と水が置いてありました。昨日の・・・つまりこの日のお詫びだったようです。添乗員さんからもホテルに話をされたみたいでした。添乗員さん,どうも有り難うございました。 |
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