1〜2日目(2006年12月29〜30日)

出発,悪夢の機中
 14:00,関空を出発。出発して10分くらいしたころだろうか・・・?胃がキリキリと痛み始めた・・・気のせいだと思いつつ,しばらく過ごすと嘔吐感も出てきた・・・どうやら何か軽い(?)食あたりのようだった・・・多分,最後に食べたアレだろう・・・結局,飛行機に乗っている間中,嘔吐と下痢に悩まされ続けてしまった。楽しみにしていた機内食も食べられず,きついきつい・・・ウズベキスタン到着までの約8時間・・・苦しかった記憶しか残っていない。最後にはウズベキスタンに着いたらそのままUターンで日本に帰ろうかと真剣に考えていた・・・このような体調で,約1週間の旅行には耐えられないだろうし,ツアーの他の人たちに迷惑をかけそうだ・・・と思っていた。しかし,何とか,機中でピークは過ぎたようでウズベキスタンに着いた頃にはだいぶ楽になっていた・・・(まだ入国していないけど)異国の地で体調を崩すのがこんなに不安になるのかと思い知ってしまった。
 ウズベキスタンは雨だった・・・20:35,ホテル「ウズベキスタン」に到着,そのまま夕食・・・だが,当然,全く手を付けられなかった・・・残念!!その後,ちょっとホテルの外に出てみると現地の子ども達と出会った。とっても人懐っこく一緒に写真を撮ったりして遊んでしまった。この国の人は好きになれそうである・・・体調は相変わらず決して良くないのだがこれからが楽しみになってきた夜だった。22:30就寝

この飛行機でウズベキスタンへ。関空にて撮影

ホテル「ウズベキスタン」内部
・・・旧ソ連の建物らしくなかなか寂しい雰囲気である。

ホテル「ウズベキスタン」の部屋
意外にも,とっても広くて良い感じだった

60USドルを現地通貨「スム」に両替・・・こんな束になった。

ホテルの外で出会った3人組
タシケントからウルゲンチへ
 2:20,目が覚めた・・・かなり疲れていたのだろう・・・爆睡であった。昨晩ほとんどできなかった荷物整理をしたりして過ごし,4:35に朝食の場へ。ほんの少し,食べることができたが,まだまだ食欲はない。この日はヒヴァの観光で,タシケントからウルゲンチまで飛行機で向かう為朝が早いのだ・・・昨夜の雨は雪になっている。飛行機は無事に飛ぶのだろうか・・・?不安になりながら,5:20,タシケント空港へ向かった・・・無事,飛ぶようであった・・・よかった〜と思いつつ,7:40,タシケント空港発,9:00,ウルゲンチ空港着。

外は雪

外は雪

この飛行機でウルゲンチへ(ウルゲンチ空港で撮影)

ウルゲンチ空港

ウルゲンチの町並み
ヒヴァ到着
 9:45,ヒヴァへ向かって出発。10:25,ヒヴァのホテル「アルカンチ」に到着。まぁ,設備ははっきり言ってイマイチではあるのだが・・・雰囲気が非常に良い!!別ないい方をすれば,それだけなのだが,この雰囲気にすっかりはまってしまいました。
 「博物館都市」とも呼ばれるヒヴァに泊まるんだ〜という気分にピッタリのホテルだった。
 ホテルでお茶を飲みつつ30分ほど休憩した後で,いよいよヒヴァの観光に出発!!

ホテル「アルカンチ」

ホテル「アルカンチ」

ホテル「アルカンチ」の部屋
ヒヴァ観光開始!!
 10:50,観光開始です。ヒヴァの町は2つの城壁で囲まれていて観光ポイントはほとんど内側の城壁の中にあります。ここをイチャン・カラ(内城)といいます。(ちなみに外側の城壁と内側の城壁の間は「ディシャン・カラ」というそうです。)とりあえず,いったん城壁(内側)の外に出てアタ門(西門)からイチャンカラに入ります。ここでカメラ代を払いました。いくらだったかな・・・忘れた・・・いよいよ観光開始です!!アタ門のすぐそばには大きな像があり,これはアル・ホレズミという,ヒヴァ出身の9世紀の数学者だそうだ。「アルゴリズム」という言葉はこの人の名前から来ているそうだ・・・へぇ〜って感じでした。
 イチャン・カラの地図はこちらです。

アル・ホレズミの像

アタ門(西門)。向こうに見えるのがカルタ・ミナル
カルタ・ミナル
 アタ門から入ると目に入るのが有名な「カルタ・ミナル」そして,その手前にあるのが「ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ」。ヒヴァについて調べると必ず見かける写真の光景です!!バックの青空と合わせて綺麗です。いや〜はるばるここまで来た甲斐があったというもの・・・感動して見上げていました。
 「カルタ・ミナル」の「カル夕」とは「短い」の意味だそう。確かにこの後に見る他のミナレットと比べると短く,寸胴に見える。このミナレットで1852年に着工したが結局未完成のままなのだそうである。青のタイルがとっても綺麗なミナレットである。基礎部の直径が14.4mで完成すれば80m以上の高さになっただろうといわれている。その姿も見てみたいが,現在の26mの寸胴ミナレットも結構好きである。
 「ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ」は中央アジアで最も大きな規模の神学校だったそうだ。現在はホテルとして利用されているそうだ。

「カルタ・ミナル」

「ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ」の中庭
クフナ・アルク
 「古い宮殿」の意味。謁見の間,展望台,夏のモスク,冬のモスク,造幣局などを見てまわったはずだが・・・はっきり分かるのは展望台だけ・・・ここの展望台からの景色もヒヴァの景色としては定番中の定番。期待通り素晴らしい景色でした。この後,夕方にもう一度ここに来て景色を楽しんでしまったが,個人的にはその時の景色の方が好み。
 あと,ヒヴァの建物の柱は独特の形です。土台に岩石(ほとんど石灰岩のようでした)が使われており,そこに木の柱が差し込んであるようなのだが,差し込み部分がキュッと細くなっているのです(下の写真にカーソルを合わせて下さい)。そして柱には複雑な模様が彫り込まれています。何とも不思議な雰囲気の柱でした。

謁見の間へ続くアイヴァン(?)だったかな

アイヴァン(?)の天井・・・結構綺麗

謁見の間(?)だったかなのタイル。
タイルには番号がうってある。場所を間違わないようにする為?

夏のモスク(?)だったかな
6本の柱がスゥーッと伸びていて気持ちいい。

中では昨夜の雪の処理をしていました。

展望台からの眺め・その1

展望台からの眺め・その2(城壁)

展望台からの眺め・その3
らくだ
 「クフナ・アルク」を出て,「カールマルクス通り」を東へ向かいます。まず,目に入ったのがらくだ!!チュニジアで見たらくだと違って毛がフサフサみたいです。だいぶ雰囲気が違います。こちらのらくだはフタコブだと思いこんでいたけど,このらくだはヒトコブみたい・・・同じヒトコブでもチュニジアのらくだとは明らかに違う・・・どなたか,らくだの種類に詳しい方,教えて下さい!!このらくだ,乗るのは3000スム(約3ドル)ということだったので,自由時間になったら乗るぞ〜と決めてここを立ち去りました・・・その後,自由時間に来てみると,すでに撤収した後でした・・・(涙)・・・無念!!
金曜モスク(ジュマ・モスク)
 10世紀に建てられたが,何回もの修復工事を重ね,今の形になったのは18世紀の末頃だそうだ。このモスクは212本の柱が印象的。4本が10〜11世紀,21本が10〜12世紀のものだそうだ。一番古いのは中世ホレズムの首都のものかもしれないらしい。ここの柱も石の土台にキュッと締まった差込みで木星の柱が差し込んであり,柱には複雑な模様が彫ってある。ドームになっていない天井と合わせて物凄く印象的なモスクです。

木の柱が立ち並び独特の雰囲気です。

ジュマ・モスクのミナレット

奥に見えるのがパルヴァーン門(東門)
キャラバン・サライの跡とバザール
 パルヴァーン門(東門)の手前で左折。これでイチャン・カラを西から東へ横断したことになる。・・・とっても雰囲気の良い所だ。
 次に入ったのは「アッラークリ・ハーンのキャラバンサライ(隊商宿)」の跡・・・だが,内部は店が建ち並び,そのすぐ外のバザールとほとんど一体化してしまっていた。往年の雰囲気が全く感じられなかったのは残念だが,活気ある姿はこれはこれで楽しいものであった。「キャラバンサライ」を出て,バザールをぐるりと一周,「キャラバンサライ」内部以上に活気がある。見ているだけで楽しい場所だった。
 これにて午前中の観光は終了。来た道を引き返す形でホテルへと向かったのだが,この景色がまた美しかった。

キャラバンサライ

キャラバンサライ

バザール

ホテルへ向かう。

遠くに見えるのが「イスラム・ホジャ・メドレセ」のミナレット
パフラヴァーン・マフムード廟
 15:10,午後の観光に出発。午前中は快晴だったのに空は曇り始めていた・・・残念。
 午後の観光は「パフラヴァーン・マフムード廟」と「イスラム・ホジャ・メドレセ」の2カ所。ホテルからほんの少し歩くと「イスラム・ホジャ・メドレセ」のミナレットが遠くに見える通りに出た。なかなかの景色である。
 ヒヴァの大臣であり,ヒヴアの庇護者として尊敬されていた詩人で哲学者のパフラヴーン・マフムド(1247〜1326)の墓を中心に合同の廟になっている。地上から見た時は気づかなかったが,後でミナレットから見下ろすと,ヒヴァの中で一番大きくてきれいな青いドームをしているようだった。内部も一面青を基調としたタイルで覆われている。私たちが入城した時にはちょうど,聖職者(イスラムのお坊さん)がお祈りをあげている所でした。

パフラヴァーン・マフムード廟

パフラヴァーン・マフムード廟

パフラヴァーン・マフムード廟内部のタイル
イスラム・ホジャ・メドレセ
 ヒヴァの最後のハーンであるイスファンディヤル・ハーン時代の大臣イスラム・ホジャによって,1910年に建てられたものでヒヴァでは最も新しいものらしい。イスラム・ホジャは進歩的な大臣で,非常に人気が出た為,ハーンと僧侶達の陰謀で暗殺されてしまったらしい・・・生き埋めだったとか・・・100年くらい前の話なんですねぇ・・・
 内部は確か色々と展示されていた気がするのだが・・・あまり覚えていない。
 ここではやっぱりミナレットですね。このミナレットは下が太く,上が細い,この差が結構極端なので物凄く高く見えます。60mはあるかな?という感じだったんですが,実際は45mしか(?)ないそうです。そして,このミナレットは登ることができます・・・が,甘く見てると痛い目に遭います。
 階段はとっても急で,最後には両手を使ってよじ登るというのがピッタリの所,しかも,内部ははっきり言って暗い!!懐中電灯必携!!・・・とどめとして,最上部は狭い,そして,窓には格子が着いていて,更にその格子には沢山のリボンが巻き付けてあって,はっきりいって視界が悪い・・・こう書くと良いことは無いみたいだが,リボンの隙間から見る景色は絶景だし,ミナレットに登るチャンスはなかなか無いのでやっぱり登ることをお勧め致します。

イスラム・ホジャ・メドレセとミナレット

ミナレット

ミナレット内部の階段

ミナレットからの景色

ミナレットからの景色
自由時間〜あてどもなくブラブラブラブラ
 一通り,観光が終わった後は念願の(?)自由時間。(実際はミナレットに登るのも自由時間の一部だったけど・・・)早速向かったのはらくだ!!でも撤収してしまっていました・・・そりゃそうだろう,すでに,周りにはほとんど観光客もいなくなってるし,物凄く寒いし・・・仕方ないのでとりあえず,クフナ・アルクの展望台にもう一度上ってみることにしたらこれがまた結構良い感じ!!でした。その後はあてどもなくブラリブラリ・・・人通りのほとんど無くなったヒヴァの町は・・・(よく書かれることだけど)本当に中世の町にタイムスリップしたような錯覚さえ覚えるような所でした。
 そして,忘れられないのが夕陽に真っ赤に染まったミナレット。バックの薄暗い雲と合わさって不気味でした。本で読んだ歴代ハーンの残酷さが思い出されて忘れられない光景でした。
 17:30 ホテル着
夕食,そして就寝
 ホテルで休憩をとった後,19:00に夕食へ出発。この日は城壁のすぐ外,南門近くのホテル・アジアにて。メインメニューはハーン・アシ(王様の食べ物)・・・どんな豪華な料理かと思ったら肉じゃがが乗った麺だった。麺と肉じゃが別々に食べた方が美味しいんじゃないか?というのがほぼみんなの共通した意見となってしまった・・・少しずつ食欲が戻ってきているようだった。
 ちょっとだけ買い物した後,21:00頃,ホテル「アルカンチ」に到着,荷物整理をして,22:00頃就寝。

ホテル「アルカンチ」の子どもたち

ホテル「アジア」

これがハーン・アシ(王様の食べ物)
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