4日目(2007年1月1日)

アルク(内城)〜雪の中での観光開始
 1月1日,お正月です・・・が,全くそんな感じもせず,ブハラの観光です。6:15,起床・・・昨晩21:30頃に寝て,爆睡でした。荷物整理をしたあと,朝食,9:00出発。このツアーで唯一ゆっくりした出発の日です。
 最初に向かったのはアルク(内城)。この辺りがブハラ発祥の地だそうです。立派な城壁に囲まれたお城で,この姿になったのはマンギトゥ王朝(1747-1920)時代の18世紀だそうです。中に入っていきなり目に入った部屋は牢屋。他にも宮殿,モスク,財務省,行政局などがこの城中にはあったようでそれらも一通り見学したはずなのですが,今見返すとどれが何処なのかイマイチ分からないのでした・・・(涙)
 このお城,まだまだ発掘中で,その発掘中の現場を抜けていくとブハラの旧市街が一望できる所に尽きます。雪のブハラの町もなかなか良いものだなぁ〜という景色でした。

アルク(内城)

牢屋

謁見の間入り口にある目隠し壁

発掘中の現場を抜けていきます。

雪のブハラ旧市街
ボロハウズ寺院
 10:20頃,次の目的地ボロハウズ寺院へ到着。「ハウズ」は「池」の意味,「ボロ」は何だったかなぁ?勿論,日本語の「ボロ」ではない。
 1718年に建てられたモスクで,20本の長い柱が立ち並び(池に映ると40本になるとか・・・),ヒヴァで見た建築様式(アイヴァン)になっています。この建物外観が結構綺麗,天井もカラフルです。柱の上部も何やら綺麗な飾り付けが着いています(下の写真にカーゾルを合わせて下さい)。入り口は他のモスクと違ってオレンジが多用され,内部も白を基調として落ち着いています。現在でも現役の建物で1日5回の礼拝が行われているそうです。
 このモスクのミナレットは2年前まではっきりと分かるほどに傾いていたそうです(ブハラの斜塔)。でも修復してしまったらしい。かなり・・・残念!!傾いたままの姿を見たかった・・・ウズベキスタンでは現在,修復等が盛んに行われて入るみたいです。このボロハウズ寺院,イスマイル・サーマニ廟周辺の公園化,この後に訪れるシャーヒズィンダ廟群などなど・・・修復されたあとの綺麗な姿も良いけど修復前の姿もきっと風情があって良いんだろうなぁ・・・一長一短ですが,個人的には修復前の姿が見たいですね。

ボロハウズ寺院

アイヴァン

入り口

内部
チャシュマ・アイユーブ廟
 10:40頃,次の目的地チャシュマ・アイユーブ廟に到着。チャシュマ=泉,アイユーブ=預言者ヨブの意味。ヨブがここを杖でたたいたら泉が湧き出たという言い伝えがあり,今でもここには泉があるそうです。面白い形をした建物ですが,次から次に建て増しした結果の姿だそうです。
 チャシュマ・アイユーブ廟に向かい合うようにして建っている建物はイマーム・アリ・ブハリ記念館。イマーム・アリ・ブハリは9世紀の神学者だそうだ。こちらの建物の形もまたユニーク。中央の建物は本(コーラン?)を開いている所,これを取り巻くようになっている三日月状のスロープはイスラムを表しているそう。
 ここを見学している間,少しだけ雲が薄くなって太陽の光が差してきたのだが,その後,再び雪が激しくなってきた。雪のブハラも良いが・・・青空のブハラも見たいぞ〜という気分が強くなってきた頃だった。

チャシュマ・アイユーブ廟とイマーム・アリ・ブハリ記念館

チャシュマ・アイユーブ廟

イマーム・アリ・ブハリ記念館
シトライ・モヒ・ホサ
 11:00,シトライ・モヒ・ホサに到着。昨日行ったらすでに閉まっていた所である・・・今日は無事開いているようだ。「月と星の宮殿」という意味の名前通り綺麗な所だった・・・確かに綺麗な所だがそれだけ・・・という気がしないでもない。
 ここでビックリしたのは更衣用の建物!!更衣室じゃなくて更衣棟。しかも内部は結構豪華。さすがに金持ちは違う!!という所でしょうか。
 そしてここにはスザニの博物館がありました。スザニは,各地方独特の刺繍文様が施された布。高いものは数100万するとか・・・ここは博物館だからきっとどれも物凄く高いんだろうなぁ〜と思いながら見ていましたが・・・正直あまりこういうのは分からないなぁ・・・が実感。スザニのコレクションはこちらを見て下さい。

シトライ・モヒ・ホサ

シトライ・モヒ・ホサの中庭

内部

更衣棟

更衣棟内部と警備員

更衣棟内部

ハーレムとプール

ハーレム

スザニ博物館内部
昼食・休憩
 12:25,ホテル「ブハラ・パレス」内のチャイハナにて昼食・・・チャイハナといっても前菜とか他のレストランで食べるのとほとんど同じ。今回のメニューはお正月らしく雑煮(E旅行社さん,有り難う!!),ボルシチ,ラグマン(ウズベク風焼きうどん)・・・本当にほとんど焼きうどんでした。この辺りからほぼ食欲が戻ってきたようで普通に食べることができました。関空を出る時に食あたりを起こして約3日,旅行の約半分を費やしました。食べられないというのは旅行の楽しみの半分を持って行かれたようなもの・・・本当に辛かったです。皆さんも気を付けて下さい。
 そして,14:30,午後の観光に出発。午後は旧市街を中心にまわります。

ラグマン
ブハラ旧市街の観光・その1
カリヤン・ミナレットとその周辺

 14:40,午後最初のポイントに到着。カリヤン・ミナレットはブハラの写真といえばここ!というような定番スポット。このカリヤン・ミナレットは高さが46m,ヒヴァの「イスラム・ホジャ・メドレセのミナレット」と同じくらいの高さなのだが,ずいぶんと低く見える。同じミナレットでも形や色使いでずいぶんと印象が違うものだ・・・このミナレットも昇れるかもしれない・・・とのことだったので楽しみにしていたのだが,残念ながらこちらは修復中で昇れなかった・・・残念。残念といえばまだまだ空が曇っていた・・・ここは綺麗な青空の下で見たかった・・・ちなみに,この塔は,18・19世紀には処刑場となり,この塔の上から罪人を投げ落とすという公開処刑が行われ,「死の塔」とも呼ばれているそうだ・・・。ヒヴァで見た夕陽で赤く染まった不気味なミナレットを思い出してしまった。
 この後,まずカラーン・モスクへ。ここはカリヤン・ミナレットとつながっているモスクで1514年,シャイバニ朝時代に建てられたもの。このモスクは建築物の数ではサマルカンドのヒビハニム・モスクに及ばないが面積はヒビハニム・モスクより広いそうだ。入り口からはいるとそこは広い中庭,「へぇ〜こうなってるんだ〜」とひとしきり感動・・・しかもここからの景色がなかなか良い。カラーン・モスクの向かい側にあるのがミル・アラブ・メドレセ。ここは現役の神学校,そのため,中には入れなかったが中を眺めることはできた。
 モスクやメドレセはこの後,飽きるほど見ることになるのだが,こういう建物を見たくてウズベキスタンに来たのでこの時は感動しっぱなしだった。・・・が,この後,次から次にでてきるモスク・メドレセに,最後にはどれがどれだか分からなくなってしまうのでした。

カリヤン・ミナレット

カラーン・モスクの入り口

ミル・アラブ・メドレセ

カラーン・モスクの中庭より

ミル・アラブ・メドレセ
ブハラ旧市街の観光・その2
スザニのお店へ

 ミル・アラブ・メドレセの見学後,ちょっとだけ自由時間。ここで他の人たちとスザニのお店へ。中では実際にスザニを編んでいた。器用に凄いスピードで編んでいく・・・へぇ〜!!って感じで見入ってしまった。ここのスザニはこれまでの店で見たものとは明らかに品質が違うようだった。1枚欲しかったが,安いものでも数十ドル,数百ドルもザラという値段にとても手が出なかった。
 この店を出た所でお皿売りの娘さん達に捕まり,結局皿を5枚も買ってしまった。さらに,この娘さん達,遊んで欲しいのか,雪合戦状態を挑んできて,私たち雪をぶつけられたりしてしまった。なかなか商魂逞しい,元気いっぱいの娘さん達でした。

スザニのお店
ブハラ旧市街の観光・その3
タキ・ザルガラン(宝石市場)

 次に向かったのはタキ・ザルガラン。タキとは大通りの交差点を丸屋根で覆ったバザールのことです。ここはかつて宝石市場だった所。今でも宝石商じゃないけれど店が並んでいます。ここは大きな丸屋根の周囲に小さな丸屋根が集まっていてなかなか面白い景色でした。
 そして!!ようやくこの頃青空が見え始めました〜!!!

タキ・ザルガラン(宝石市場)
ブハラ旧市街の観光・その4
ウルグベクとアブドゥール・アジズ・ハーンのメドレセ

 タキ・ザルガランを出るとすぐ目の前にあるのがこの2つのメドレセ。左側にあるのがウルグベク・メドレセ,右側にあるのがアブドゥール・アジズ・ハーン・メドレセ。ウルグベク・メドレセはティムールの孫のウルグベクが建てた最初のメドレセ。アブドゥール・アジズ・ハーン・メドレセはその約200年後に建てられたものでこちらはまだ未完成らしい。そして・・・この2つのメドレセを見ると200年間でイスラム建築がかなり変化していることが分かる(「地球の歩き方」より)・・・とのことだが,はっきり言って分かりませんでした!!
 アブドゥール・アジズ・ハーン・メドレセにはコウノトリの大きな巣がありました。(右下の写真にカーソルを合わせて下さい。)・・・本当に大きかったです。
 ウルグベク・メドレセの中では,イスラム女性の服・・・何というやつだったかな?顔とかが見えないようにするやつです。・・・を見せてもらいました。横から見ると何がなんだかさっぱり分からない!!(下の写真にカーソルを合わせて下さい。)そして,アブドゥール・アジズ・ハーン・メドレセの中で見たのは神学校生徒の部屋。2段になっていて,上で勉強,下で寝たそうだ。これで2人部屋。手前には釜戸もあった。こんな所で勉学に励んだんだろうなぁ〜と思いながら見ていました。

ウルグベク・メドレセとアブドゥール・アジズ・ハーン・メドレセ

ウルグベク・メドレセ

アブドゥール・アジズ・ハーン・メドレセ

ウルグベク・メドレセの中庭

アブドゥール・アジズ・ハーン・メドレセの中庭

イスラム女性の服
・・・何というやつだったかな?

左の服を着たところを横から見た
・・・何だか分からなくなります・・・

神学校生徒の部屋
ブハラ旧市街の観光・その5
 ウルグベク・メドレセとアブドゥール・アジズ・ハーン・メドレセを見学したあとはちょっとだけ引き返し,タキ・ザルガランから南へ。タキ・テクパクフルシャン(帽子市場),マゴキ・アッタリ・モスク,タキ・ザラファン(両替商)と見て回った。途中,鍛冶屋さんでハサミやナイフなどを購入。キリル文字で名前を入れてもらいちょっと満足。ツアーの人たちが次から次に注文。鍛冶屋のおじさんも嬉しそうだった。物凄い売り上げだったんじゃないだろうか?
 マゴキ・アッタリ・モスクの「マゴキ」は「穴の中」の意味,もともと埋もれていたのを1936年に掘り出されたもの。壁面が3層に破壊・焼失と再建を繰り返してきた歴史を反映しているらしい・・・なかなか面白い話だが,この建物を見ていた時は説明も聞かず,付近をフラフラフラフラ・・・後でツアーの人たちに追いついて,「これ,何だろう・・・?」と思いながら写真を撮っていました。後になって,もっと良く見とけば良かった・・・と後悔した建物です。

タキ・テクパクフルシャン(帽子市場)

マゴキ・アッタリ・モスク

タキ・ザラファン(両替商)
ブハラ旧市街の観光・その6
 タキ・ザラファン(両替商)を抜け,ラビハウズへ。「ラビハウズ」は「池の岸辺」の意味。ここは中世ブハラ最大の人工貯水池だったそうだ。なかなか良い景色である。きっと暖かくなったら,この辺りはいい憩いの場なんだろうなぁと思いながら眺めていました。
 池の向かい側には何やら楽しそうなおじさんの像が・・・このおじさんはホジャ・ナスレッディンという人。ウズベキスタンの一休さんだそうだ。この像の先にあるのが有名なナディール・ディバンベキ・メドレセだ。このメドレセには鳥と人の顔が描かれているのだ。偶像崇拝を禁止しているイスラム教にはあり得ないこと。鳥は不死鳥(実在の生き物ではない),人の顔は太陽を表しているのだ!!ということで言い抜けた?らしい。そしてこのメドレセの中庭・・・すっかり土産物屋さんの場と化していました・・・見なければ良かった・・・
 その後,ちょっとだけの自由時間の後,現役で使われているコカルダシュ・メドレセの前に停車しているバスに乗り,ホテルへと向かったのでした(17:25)。

ラビハウズ

ナディール・ディバンベキ・メドレセ

ナディール・ディバンベキ・メドレセの中庭

ホジャ・ナスレッディン

コカルダシュ・メドレセ
民族舞踊
 17:35,ホテル到着。18:00,ホテル内にて民族舞踊を見学・・・民族舞踊というより,なんだか半分以上はファッションショーという感じだったのだが・・・しかも,モデル(?)の若い女の人の何人かは遅刻してくるし・・・しかも観客席から丸見えの所から舞台裏へ入っていくし・・・なかなか素人色丸出しという感じでこれはこれで面白かったかも・・・このファッションショーの娘さん達,付近の大学の学生でバイトじゃないだろうか?と思ってしまった。
夕食
 民族舞踊を見たあと,夕食。19:00くらいからだったかな?
正月らしく,ウズベキスタンの新年料理でした。ウズベキスタンののおせち料理とでもいえばいいのだろうか。この料理は「ナウルーズ」。じゃがいも・トマト・玉葱・牛肉を薄くスライスして,この順番に繰り返し重ねたものを煮た料理だった。スープも含め結句美味しかったです。
 夕食後,軽く買い物とか,片づけをして,23:00就寝。

これが「ナウルーズ」
ブハラで出会った人たち
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